絵本大功記十段目 尼ケ崎の段

武智光秀(明智光秀)は、主君小田春長(織田信長)の暴虐を見兼ね、天下万民のためと信じてこれを討った。
そして、春長の後継者たる真柴久吉(羽柴秀吉)を一度は打ち破り、天下を掌握する。が、封建道徳を守る母の皐月は、 主君に反逆した光秀を許さず、尼ケ崎に隠居。
この閑居に、光秀の子の十次郎が母の操に連れられて出陣の暇乞いに来る。
討死の覚悟と知った皐月は、許婚者の初菊と祝言をあげさせて送り出す。
一方、光秀は、僧侶に化けてこの家に逃げ込んだ久吉を追って来るが、誤って母を竹槍で刺してしまう。
そこで、負傷した十次郎の帰還。人々の諌めも聞かず、負け戦と知っていきり立つ光秀も、母と息子の死を眼前にしてついに涙を流す。

原作は、61日から13日までの出来事を一日一段に配した趣向になっているが、歌舞伎では十段目(六月十日の段)の尼ケ崎のみが上演される。
緊密な構成で変化と聞きどころの多い義太夫の代表作だが、歌舞伎では、さまざまな役柄が出揃う大顔合わせの魅力が主眼であり、その分、省力もあって原作ほどの緊密なドラマ性はない。

端場の「夕顔棚」は省略され、十次郎と初菊の色模様で始まる。
死を眼前にして、逆に燃え上がるつかの間の恋。
続く盃事のくだりも、三代の女たちが、最愛の若者を戦場に送り出す光景が痛ましい。
そして藪の中から凄みをはらんで光秀が登場するくだりから、舞台の空気が一変する。
ここは光秀の見せ場。手負いの犀月の諫言、続く操のクドキ(ここは立女形としての操の最大の見せ場)にも、殻然として信念を揺るがせない光秀が、 十次郎の死を前にしてついに大泣きに泣くまで、重厚な悲壮感が持続する。原作の光秀は、むしろ理想家肌のインテリだが、歌舞伎では敵役の陰影を加えている。

そして、前半の飃逸な僧侶から颯爽たる名将に変わった久吉が登場し、加藤正清(加藤清正)と共に光秀と再会を約して別れるのが歌舞伎の幕切れである。